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小鍛冶(こかじ)
一条院にお仕えする橘道成は、帝がご覧になった夢のお告げに従い、三条小鍛冶宗近に御剣を打つようにと言いつける。
しかし良き相槌がいないと良き剣は打てない。そこで宗近は氏神である稲荷明神へお祈りに出かけようとすると、童子に呼び止められる。
童子は帝から剣を打つよう仰せ付けられたことを知っていた。「壁に耳あり」というように直ぐ広まるものであり、まして帝の御用を賜ったのだから世間が知らないはずがないと言う。そして、大君の恵があるから剣を打てないはずがないと勇気づける。
漢の高祖・隋の煬帝・唐の鍾馗大臣などは剣の威徳により世を治めた。我が国では日本武尊が四方を敵に囲まれ、草に火をつけ攻められた時、剣を抜き四方の草を薙ぎ払い、火を吹き返し敵を滅ぼしたのだ。これから宗近が打つ剣もこれに劣らない程の物であろうから安心して帰りなさいと言い、鍛冶の壇を作り待てば、必ず力を添えに来ると稲荷山の方へ消えて行った。
そこで壇を築き神に祈っていると、稲荷明神が童男の姿で現れ、壇に上がり相槌を仕る。剣の表には小鍛冶宗近、裏には小狐と銘を入れる。
これこそ天下第一の名剣で、表裏二つの銘を打ったこの剣で天下を治めれば、国土も豊かになることであろう。そしてこれを「小狐丸」と名付け、勅使に捧げ、雲に飛び乗って東山の稲荷の峰に帰って行くのであった。
剣の威徳を讃える事がテーマであるが、何事も自分の力を信じ物事に打ち込めば、必ず願いは成就することを教えているように思う。





能楽ゆかりの地
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三条宗近邸址
「只今宗近が私宅へと急ぎ候」
三条小鍛冶宗近は、平安中期の刀匠で、姓は橘、信濃守粟田藤四郎と号し、東山粟田口三条坊に住した。 -
鍛冶社
「かくて御剣を打ち奉り 表に小鍛冶宗近と打つ 神体時の弟子なれば 小狐と裏に鮮やかに」
粟田口鍛冶町にある粟田神社境内にある鍛冶社には、粟田口鍛冶師の鍛冶場址といわれる。 -
合槌稲荷
「只今の宗近に力を合わせて賜び給えとて」
宗近が常に信仰していた稲荷の祠堂とも、名剣小狐丸を造った所、合槌を勤めた明神を祀ったとも云われる。 -
伏見稲荷
「また群雲に飛び乗りて 東山稲荷の峯にぞ帰りける」