能を観る
東北(とうほく)
新春旅の僧が都に上り、東北院で盛りの梅を見つける。「和泉式部」という名であると教えてもらい眺め入っていると、ある女性が声を掛けてくる。それは和泉式部がお植えになった「軒端の梅」というもので、この由緒深い所で法華経を読誦遊ばしたならば、逆縁のご利益ともなるであろうと言う。そして自分は梅の主だと告げ姿を消す。
そこでその夜、僧が法華経の譬喩品(ひゆほん)を読経していると、和泉式部の霊が現れ、関白藤原道長公に詠んだ和歌の通り浮世の火宅を出、詠歌の功徳により歌舞の菩薩となったことを語る。そしてさらに和歌の徳・東北院の有様を語り舞い、極楽浄土の花の台(うてな)に上った和泉式部の方丈に入ると思うと、僧の夢は覚める。
関白藤原道長の娘彰子は院号を上東門院と言い、御所の東北鬼門に位置する法成寺・東北院に居た。またその彰子に仕えた和泉式部もそこにいたのである。
東北院は1692年焼失により、真如堂近くに移る。法成寺跡には石碑が建っており、現存する蘆山寺境内にはゆかりの跡がある。
道長公が東北院の門前をお通りになった時、法華経の譬喩品を声高らかにお読みになった。それを門の内で聞いた和泉式部は、『門の外法の車の音聞けば 我も火宅を出にけるかな』との和歌を詠んだ。今もこの寺に住んでいるが、火宅の迷いを離れ、今は不安な迷いの多い三界を去り、羊・鹿・牛の三つの車に乗り火宅の門を出て行く。成仏できるのはありがたいことだと述べている。
能の多くの場合、霊は僧に成仏できるよう回向を乞う。しかしこの「東北」は既に成仏しているのである。
それゆえに鬘物ながら脇能的要素を含み、昇華された歌舞の菩薩としての姿や舞が要求されるのではないだろうか。
まだ寒い時期に咲く梅の花の如く、凛とした美しさを感じる曲である。


能楽ゆかりの地
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東北院
真如堂近くに現存する東北院。
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東北院
東北院は一条天皇中宮・上東門院藤原彰子の住まいであった。元禄年間にこの地に再興されたと言われている。
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軒端の梅
「これこそ和泉式部の植え給いし軒端の梅にて候へ」
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軒端の梅
「軒端の梅の蔭に居て」
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法成寺址
王朝時代には現在の今出川から荒神口に至る西側付近にあった。
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蘆山寺雲水の井
「悪魔を払ふ雲水の 水上は山陰の賀茂川や」
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蘆山寺潤底の松
「潤底の松の風 一聲の秋を催して」