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源氏供養(げんじくよう)
安居院(あごい)の法印が近江の国、石山寺に参詣する途中、一人の女性に呼び止められます。そしてその女性は、「私はこの石山寺に籠って、源氏物語六十帖を書き、後世まで名を残すこととはなりましたが、光源氏の供養をしなかった罪で成仏することができません。どうか源氏の供養をして、私の菩提を弔って下さい。」と、言い残し消えてしまいます。彼女は紫式部の亡霊だったのです。不審に思いながらも石山寺に着いた法印は、再び現れた紫式部と共に弔います。風前の灯火のように消えた光源氏を・・・。そして、紫式部は供養の御礼にと、紫の薄絹を身にまとい、紅色の扇を持ち、舞を舞うのです。それは優雅ですが、どことなく物はかない舞です。そして最後に法印は、この紫式部は石山の観世音が仮にこの世に現れたもので、源氏物語もこの世も夢であるのだ、と人に知らせる為の方便であったと悟ります。
さて、この「源氏供養」の中で、紫式部が舞を舞う部分の詞章が、とても美しく作られているのです。源氏物語の巻名を27個も巧みに折り込んでいます。ただこれは、安居院の法印の作と伝える「源氏物語表白」によるものですが、それに強・弱を交えた節付けを施し、聞き答えのある作曲になっています。ただ物語の構成上、光源氏の供養をしなかった罪で成仏できない紫式部を、石山観世音の化現であるとする結末には無理があります。しかし、現在でも女性の間で読まれ続けている「源氏物語」の作者、紫式部を美化する手段とすれば、これもよいのではないでしょうか。物語の中ほどで、こう言います。「夢のうちなる舞の袖。夢のうちなる舞の袖。現に返す由もがな」人が夢の内に見る、美しさ、憧れというものは、やはり現実にはなり得ない夢なのです。「一生夢の如し」しかし人にとって、その永遠の夢こそが大切なのではないでしょうか。紫式部はそれを教えてくれているような気がします。

能楽ゆかりの地
「ここに数ならぬ紫式部。頼みを懸けて石山寺。悲願の頼み籠り居て。この物語を筆に任す」
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紫式部墓所
「紫式部が後の世を。たすけ給えと諸共に。鐘打ち鳴らして回向も既に終わりぬ」
このお墓は北大路堀川の交差点を南へ。雲林院の東に位置する。 -
廬山寺
紫式部は「平安京東郊の中河の地」、すなわち現在の芦山寺[寺町通り広小路上ル]の境内に居住していた。
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「紫式部邸宅址」の碑
芦山寺の庭には「紫式部邸宅址」と記された碑がある。